新宿区のほぼ中央。江戸から明治時代には“大久保のつつじ”で知られたところ、また、明治、大正の文人達が活躍したところ。箱根山は尾張徳川家の広壮な戸山荘内に造営された築山で山手線内の最高点。

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JR「新大久保」駅

POINT 1
皆中稲荷神社(説明板あり)
新宿区百人町1-11-16
寛永年間(1624~43)に幕府の鉄砲組百人隊がこの付近に居住し、鉄砲の技術上達を祈願した。隔年の9月下旬に鉄砲組百人隊行列 の祭礼あり。


内藤とうがらし®SHINJUKU-SHICHIMI
内藤とうがらしプロジェクト
株式会社今田新聞店今田新聞店(新宿区百人町1-23-2)前の自動販売機で販売

韓国広場自家製キムチ
韓国広場
新宿区歌舞伎町2-31-11

小泉八雲終焉の地 (説明板あり)
新宿区大久保1-1-17
明治35年(1902)3月に市谷富久町より転居し、この地で同37年(1904)9月没した 。近くには小泉八雲記念公園がある。

稲荷鬼王神社(説明板あり)
新宿区歌舞伎町2-17-5
水浴びの伝説をもつ鬼王神社の水鉢 (天の邪鬼を台石にした珍しい水鉢)がある。2月3日夕方には鳴弦の儀を伴なう節分祭 も行われる。


島崎藤村旧居跡(説明板あり)
新宿区歌舞伎町2-4
明治38年(1905)5月より同39年9月まで居住。困窮の日々を送ったが、この地で『破戒』を完成した。


西向天神社・大聖院(説明板あり)
新宿区新宿6-21-11
西向きの社殿が珍しい。境内の斜面に築いた富士塚は区内最古のもの。大聖院には、太田道灌の山吹の里伝説で知られる紅血の墓 があり、大聖院文書 (非公開)ものこる。

POINT 6
小泉八雲旧居跡(説明板あり)
新宿区富久町7-30 成女学園内
明治29年(1896)9月、東京帝国大学講師となり神戸から上京し、この地で暮らした 。自証院(こぶ寺)など付近の風致を愛し、『怪談』『墓地』などの作品を執筆した。

POINT 7
自証院(説明板あり)
新宿区富久町4-5
浄土宗の寺院。三代将軍徳川家光の側室・お振の方が開基。その霊屋は戦災を免れ、現在は江戸東京たてもの園(東京都小金井市)にある。阿弥陀三尊種子板碑 は弘安6年(1283)造立。区内最古の板碑。

POINT 8
永井荷風旧居跡
新宿区余丁町14-3
小説家・永井荷風が明治41年(1908)から大正7年(1918)まで住んでいた 。大正5年(1916)3月、邸内の一隅に断腸亭を建てた。

POINT 9
坪内逍遙旧居跡・文芸協会演劇研究所跡(説明板あり)
新宿区余丁町7
小説家、劇作家・坪内逍遥が明治23年(1890)より大正9年(1920)まで住んでいた 。近代演劇運動に乗り出し、敷地内に文芸協会演劇研究所を開設、松井須磨子らを輩出した。

POINT 10
厳嶋神社 (抜弁天)
新宿区余丁町8-5
後三年の役の際に源義家が戦勝祈願したと伝えられる。義家が危難をくぐり抜けたから、あるいは境内が通り抜けられるから「抜弁天」と呼ばれる。新宿山ノ手七福神の一つ弁財天あり。生類憐みの令により元禄8年(1695)、この付近に犬御用屋敷 が置かれた(説明板は若松町特別出張[新宿区若松町12-6]前にある)。

POINT 11
専福寺
新宿区新宿6-20-9
真宗大谷派の寺院。幕末から明治初期の浮世絵師・月岡芳年の墓
がある。区内最古級の絵画、阿弥陀三尊来迎図 (鎌倉時代)も伝えられている(非公開)。

POINT 12
法善寺(説明板あり)
新宿区新宿6-20-16
日蓮宗の寺院。七面明神像 は中正院日護上人の作と伝えられ、万治年間(1658~60)駿河国より移したという。新宿山ノ手七福神の寿老人がある。

POINT 13
永福寺(説明板あり)
新宿区新宿7-11-2
曹洞宗の寺院。区内では珍しい銅造の大日如来坐像 と地蔵菩薩半跏像 がある。新宿山ノ手七福神の福禄寿がある。


C-Black
チェリーボンボン
新宿区新宿7-20-10

POINT 14
戸山山荘跡
戸山二丁目周辺
尾張徳川家の下屋敷跡。元禄年間(1688~1704)には広壮な回遊式庭園ができる。現在は、当時の庭園の一部であった築山「箱根山」が残る。

GOAL
都営バス「国立国際医療研究センター」停留所