島崎藤村旧居跡

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  • 島崎藤村旧居跡 記念碑
  • 島崎藤村旧居跡 記念碑
  • 島崎藤村旧居跡 記念碑  裏面

画像数:5枚

所在地 新宿区歌舞伎町2丁目14番11号付近      
ふりがな しまざきとうそんきゅうきょあと
年代 明治38年(1905)5月~明治39年(1906)9月
アクセス 都営大江戸線「東新宿」駅から徒歩1分
概要  小説家・島崎藤村(1872~1943)が34歳の時、家族を連れて長野県小諸から上京し、豊多摩郡大久保村大字西大久保405番地の植木職・坂本定吉邸内の貸家に入居した。藤村がこの地に住んだのは、明治学院の学友で角筈に住んでいた画家・三宅克己の世話になったもので、克己の『思い出づるまま』には「私が大久保の静かな植木屋の地内の新築家屋を発見してお知らせして、その所に住まわれることになったが、藤村さんも未だ幼少なお嬢さん達を引き連れ、不安の思いで上京されました。間もなく引き続く不幸が重なり、とうとう大久保の住居も見捨て、今度は賑やかな粋な柳橋の芸者屋街に移転された」と記している。
 当時の藤村は非常に困窮しており、この地で書き上げた『破戒』を明治39年(1906)3月に自費出版し、世に認められるようになったが、栄養失調のためか三人の娘を次々に失い、妻も視力を失うなど、藤村にとっては辛い思い出の残る地となった。明治39年9月に浅草新片町に転居した。
 ここに建つ記念碑は、昭和36年(1961)5月に新宿区が設置したもので、文化財説明板とともに職安通りの植栽内に建っている。記念碑の文字は新宿区長・岡田昇三の揮毫による。

★ 新宿クイズ ★
答え:③破戒
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