尾張徳川家下屋敷跡11次調査

  • 尾張徳川家下屋敷跡11次調査 調査区遠景(東から)
  • 尾張徳川家下屋敷跡11次調査 調査区全景(南から)
  • 尾張徳川家下屋敷跡11次調査 1号遺構A断面(南西から)
  • 尾張徳川家下屋敷跡11次調査 調査風景

画像数:4枚

所在地 戸山3-20     
ふりがな おわりとくがわけしもやしきあと11じちょうさ
種別 埋蔵文化財包蔵地
年代 近世
備考 ※記録保存:発掘調査報告『尾張徳川家下屋敷Ⅺ』2019大成エンジニアリング㈱他
概要  尾張徳川家下屋敷(戸山屋敷)の造営は、2代藩主光友が正室千代姫(将軍家光の長女)のために、寛文8(1668)年に和田戸山の旗本2屋敷を購入、前後して千代姫の曽祖母、祖心尼から隣地4万6000坪余りを譲り受けたことに始まる。その後、寛文11(1671)年には8万5,000坪を幕府より拝領し、順次隣地を買得し、広さ13万6,000坪という広大な大名屋敷となった。
 平成30(2018)年8月から9月にかけて行われた11次調査の地点は、尾張徳川家下屋敷北西部分にあたり、4次調査と同様に長さ35mにおよぶ大型の溝が発見された。徳川林政史研究所所蔵の「山御屋敷御指図」によれば、この溝は寛文11(1671)年に尾張藩がこの土地を拝領した後に設けられたものの、敷地の拡充によって4年後の延宝3(1675)年には埋められたことが分かる。