市谷仲之町遺跡8次調査
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所在地 | 市谷仲之町1番地 |
ふりがな | いちがやなかのちょういせき8じちょうさ |
種別 | 埋蔵文化財包蔵地 |
年代 | 縄文・弥生・近世 |
備考 | ※記録保存:発掘調査報告『市谷仲之町遺跡Ⅷ』2007加藤建設㈱ |
概要 | 市谷仲之町の町名は、市谷本村町の尾張徳川家上屋敷(現防衛省)と河田町の同藩川田久保屋敷の中間に位置したことに由来している。一帯は、江戸時代を通じて旗本屋敷や組屋敷が設けられている。 8次調査地点(市谷仲之町1)は、市谷仲之町遺跡の南側、旧紅葉川(現靖国通り)の谷筋へ下る台地先端にあたる。平成18(2006)年5月から7月に行われた発掘調査では、都心部で初めて炭焼窯が発見された。窯は旧紅葉川の南向き斜面に設けられ、発掘調査とその後の立会調査で各1基確認されている。この内、38号遺構は、長さ5.1m、幅2.3mの炭化室と焚口、3箇所の煙道から成り、内部には炭と焼土が交互に堆積し、少なくとも4回操業されている。炭の樹種はクヌギもしくはアベマキ、これ以外に出土品が無いため年代を特定できないが、近接する井戸(1号遺構)から長石釉の碗等が出土しており、中世末から江戸時代初期のものと推定される。ただし、ここから採取した炭化物の14Cの年代測定値は1250±50BP、奈良時代前後を示す値で考古学的所見と大きく異なる。 |