藤田嗣治(レオナール・フジタ)旧居跡

  • 藤田嗣治旧居跡(須田外科クリニック)

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所在地 新宿区高田馬場4-22-7 須田外科クリニック     
ふりがな ふじたつぐはる(れおなーる・ふじた)きゅうきょあと 
種別 新宿区指定史跡
年代 昭和8年(1933)~昭和11年(1936)
指定・登録年月日 令和6年7月5日
所有者 医療法人社団嶺雪会、個人
アクセス JR山手線、西武新宿線、東京メトロ東西線「高田馬場」駅から徒歩5分
備考 ※当時の遺構はありません。
※クリニック利用者以外の立ち入りはできません。
概要  この地は、画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ、以下フジタと表記)(1886~1968)が、昭和8年(1933)から昭和11年(1936)まで暮らしたアトリエ付住居の跡である。
 フジタは、明治19年(1886)11月27日、東京府牛込区新小川町に陸軍軍医であった父・藤田嗣章(ふじたつぐあきら)と母・政の次男として生まれた。中学生の頃より画家を志す。大正2年(1913)単身でフランスに渡り、着実にキャリアを積み上げたフジタは、同8年(1919)にサロン・ドートンヌの会員に選出され、エコール・ド・パリで活躍する画家として国際的な評価を確立し、日本画の技法を研究して取り入れた陶器のような透明感のある肌質の表現は高く評価された。
 この地にあったフジタの家は、中南米の旅から帰国後、次姉・やすの夫で陸軍軍医総監を務めた中村緑野邸に仮寓した後に、同敷地内に新築したスパニッシュ・コロニアル様式のアトリエ付住居であり、約3年間の居住中、制作の拠点として壁画等の大作に取り組んだ。フジタの住居は生誕地を含め新宿区内に5箇所ほど確認できるが、この地は、旧居跡の場所が特定でき、まとまった期間の居住と創作活動が確認できる。フジタは、時代ごとにアトリエ付住居に移り住み、「生活の延長、生活が流れ込んだ画室」を重んじた。好みの品々で満たされた空間は、たびたびフジタの絵画に登場し、重要な役割を果たしている。
 フジタの画業の多くはパリを中心としたヨーロッパで成されたが、この地は国内在住時に営まれた数少ない創作の拠点であり、関連する作品等からアトリエの様子もわかるなど、当時のフジタの暮らしや活動を知る上で大変重要な場所といえる。