泉鏡花の墓
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| 所在地 | 新宿区横寺町15番地 圓福寺墓地 |
| ふりがな | いずみきょうかのはか |
| 種別 | 史跡 |
| アクセス | 東京メトロ東西線「神楽坂」駅から徒歩5分 |
| 電話番号 | 03-3260-5634 |
| 概要 | 小説家・泉鏡花(1873~1939)の墓地。泉鏡花(本名・鏡太郎)は、明治6年11月4日に石川県金沢市で、象嵌細工・彫金師の子として生まれた。金沢高等小学校を卒業後、真愛学校(北陸英和学校と改称)などに学んだが中退、尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んで文学を志すようになる。明治23年(1890)に上京し、翌年より牛込区牛込横寺町の尾崎紅葉宅に玄関番として住み込み、作家修行をはじめる。 明治32年(1899)秋から4年間、同区牛込南榎町22番地に暮らし、代表作『湯島詣』『高野聖』を発表【新宿区登録史跡】。同年、師・紅葉が主宰する文学結社「硯友社」の新年会で神楽坂の芸妓・桃太郎(伊藤すず)と知り合い親しくなり、明治36年(1903)3月に同区牛込神楽坂2丁目で同棲をはじめる。このすずは、鏡花の小説『婦系図』のお蔦や『湯島詣』の蝶吉のモデルとなっている。しかし、紅葉は二人の同棲を許さず、すずは一時的に鏡花のもとを去るが、同年10月に紅葉が亡くなると、鏡花はすずを妻に迎えた。晩年は、麴町区麹町下六番町に暮らし、『夜叉ヶ池』『天守物語』などを発表。昭和14年9月7日逝去し、雑司ヶ谷霊園に埋葬された。 圓福寺の泉鏡花の墓所は、雑司ヶ谷霊園から改葬されたもので、令和6年(2024)3月28日に改葬法要が営まれた。圓福寺は、すず夫人が帰依し信徒となった寺院で、その縁で神楽坂ゆかりの泉鏡花の墓所が改葬された。墓石の構成は日本画家・小村雪岱が行い、墓石正面の俗名「鏡花泉鏡太郎墓」は歴史家・評論家の笹川臨風が揮毫した。 |
