新宿新都心地区(淀橋浄水場跡)

  • 「淀橋浄水場趾」碑
  • 淀橋浄水場(昭和39年9月)
  • 造成中の新宿副都心(昭和42年12月8日)
  • 新宿新都心地区(淀橋浄水場跡)

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所在地 新宿区西新宿2丁目     
ふりがな しんじゅくしんとしんちく(よどばしじょうすいじょうあと)
種別 史跡等
アクセス 都営大江戸線「都庁前」駅から1分、東京メトロ丸ノ内線「西新宿」駅から4分、JR、小田急線、京王線、東京メトロ、都営地下鉄「新宿」駅から徒歩8分
概要  新宿区西新宿2丁目の東京都庁周辺は、淀橋浄水場の跡地であり、新宿駅西口の新宿エルタワービル(西新宿1-6)西側の植栽に赤大理石製の「淀橋浄水場趾」の碑がある。ここは浄水場の正門であった。
 この一角から新宿中央公園の東半分を含む広大な区域がかつての淀橋浄水場である。東京では、明治維新後も江戸の上水が使用されていたが、都市化により管理が難しくなり、水質の悪化が問題視されていた。明治19年(1886)コレラの大流行により多くの死者が出たため、近代的な浄水場を整備することになり、当時の角筈の地が選ばれた。明治25年(1892)着工、明治32年(1899)に竣工した。総面積は34万平方メートル、代田橋付近で玉川上水から取水し、沈澄池・濾過池などの施設で浄化、周辺地域に給水した。
 昭和29年(1954)に新宿区総合発展計画促進会が設立され、新宿副都心計画と淀橋浄水場移転が決定された。浄水場は昭和40年(1965)に東村山に移転され、跡地は新宿副都心として超高層ビル群が建ち並び、平成3年(1991)には東京都庁も移された。
 なお、超高層ビルの多くが、車道より低い面から建ち上っているのは、浄水場の沈澄池・濾過池の底から建っているためで、碁盤の目のような区画も当時の地割のなごりである。

★ 新宿クイズ ★
答え:③コレラの大流行
https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/course/shosai3/