淀橋

  • 現在の淀橋
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  • 淀橋
  • 淀橋
  • 『江戸名所図会』
  • 明治時代末頃
  • 昭和28年頃

画像数:7枚

所在地 新宿区北新宿二丁目 中野区境界     
ふりがな よどばし
種別 史跡等
アクセス 都営大江戸線、東京メトロ丸ノ内線「中野坂上」駅から徒歩6分、東京メトロ丸ノ内線「西新宿」駅から徒歩8分
概要  新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋である。明治時代半ば以降は、この付近の地名にもなった。
 橋名の由来は諸説ある。この地が豊島郡と多摩郡の中間で、古代の制度で五十戸を単位とした「里」を超えた端数である「余戸」にあたる家を移住させたことを起源とする説。柏木村・中野村・角筈村・本郷村の四村の境が集まるところに架けられたので四所橋と呼ばれ、それが転じて淀橋になったという説。三代将軍徳川家光が鷹狩りに来た時、山城国(現在の京都府)の淀の景色に似ていたので淀橋と呼ぶように命じたという説などである。
 別名は「姿見ずの橋」という。中野長者・鈴木九郎が、一帯の開拓で成した財宝を下男に運ばせ、帰りに口封じのためにこの橋から川に突き落とし、姿が見えなくなるという伝説から、こう呼ばれたという。

★ 新宿クイズ ★
答え:②姿見ずの橋
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