高田馬場跡
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所在地 | 新宿区西早稲田3-1、2、12、13、14付近 |
ふりがな | たかたのばばあと |
種別 | 史跡等 |
アクセス | 東京メトロ副都心線「西早稲田」駅から徒歩5分 |
概要 | 高田馬場の地名発祥の地で、寛永13年(1636)に造られた旗本たちの馬術や弓の練習場である馬場があった。早稲田通りと北側に並行する茶屋町通りの間、西早稲田3丁目1、2、12、14番一帯が、馬場の跡である。 この馬場では、享保13年(1728)に八代将軍徳川吉宗の世継ぎの病気平癒を祈って流鏑馬を開催し穴八幡宮に奉納したことから、以後、将軍家若君誕生の折などには流鏑馬が行われるようになった(現在は、毎年スポーツの日に都立戸山公園箱根山地区で開催されている)。 また、元禄7年(1694)の「高田馬場の決闘」もよく知られるできごとで、後の赤穂浪士の一人である堀部安兵衛が叔父菅野六郎左衛門の助太刀をした話である。そのことを記した記念碑「堀部武庸加功遺跡之碑」が大正2年(1913)に馬場の一隅に建てられ、昭和46年(1971)に水稲荷神社境内に移されている。 ★ 新宿クイズ ★ 答え:②堀部安兵衛 https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/course/shosai5/ |