全勝寺

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所在地 新宿区舟町11番地     
ふりがな ぜんしょうじ
アクセス 東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅、都営新宿線「曙橋」駅から徒歩4分
電話番号 03-3351‐4455
宗派 曹洞宗
創建年代 天正6年(1578)
概要  正式には雄峰山全勝寺という。栄巌清繋和尚が曹洞宗龍源寺として麹町貝塚に創建し、元和2年(1616)牛込藁店へ、元和5年(1619)現在地へ移転した。創建時に檀家だった朝倉家が断絶し、その朝倉家邸宅のあった地に移転する縁により、寺号を朝倉六兵衛在重の法名興隆院殿籌室全勝居士に因んで全勝寺と改めたという。
 全勝寺には江戸時代中期の思想家・兵学者として知られる山県大弐(1725~1767)の墓がある。大弐は名を昌貞といい、甲斐国(現山梨県)に生まれた。はじめ医学、続いて漢学を学ぶ。江戸へ出て大岡忠光に仕えて勝浦の忠光の領地の代官となり、忠光が岩槻城主となると、宝暦6年(1756)岩槻藩士として江戸に出るが、のちに辞めて塾を開き、国学・兵学を講義した。宝暦9年(1759)『柳子新論』を著し幕藩体制下の政を批判、尊王を説いた。幕末の吉田松陰に影響を与えたともいわれている。明和3年(1766)明和事件に連座、翌年処刑された。墓ははじめ全徳寺にあったが、両寺合併のため全勝寺に改葬された。

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答え:②『柳子新論』
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