浄輪寺の花卉寄合描屏風

  • 浄輪寺の花卉寄合描屏風(表面)
  • 浄輪寺の花卉寄合描屏風(裏面)

画像数:2枚

所在地 新宿区弁天町95番地 浄輪寺     
ふりがな じょうりんじのかきよりあいがきびょうぶ
種別 新宿区指定有形文化財(絵画)
構造・寸法 二曲一隻
本紙・縦141.5cm×横136.9cm。外寸・縦158.3cm×横153.8cm
素材・仕上げ等 絹本墨画淡彩
年代 明治39年(1906)9月18日
指定・登録年月日 令和8年5月1日
所有者 宗教法人浄輪寺
アクセス 都営大江戸線「牛込柳町」駅から徒歩5分
電話番号 03-3260-3434
備考 文化財保護の観点から通常は非公開
概要  日蓮宗浄輪寺に伝来する屏風で、日本画家・荒木寛畝、寛友、十畝など計35人により描かれた。絵柄は草花や花木を描いた花卉図である。本作品は、明治39年(1906)9月18日に、荒木寛畝の2番目の妻・みよの一周忌にその菩提を願って、荒木家の親族と寛畝の門人が寄合描きを行い、浄輪寺に寄進した屏風で、寛畝、寛友、十畝など親族8人と、寛畝の画塾「読画会」の門人27人の計35人による合作である。各人が故人の冥福を祈り捧げる供花として花卉を一つずつ描いている。
 図様は、寛畝が蓮を中央上部に大きく配し、親族と門人達が四季の草花や花木を描き添えており、故人を偲ぶ弔事にふさわしい、墨と淡彩を主とした潤いのある彩色で描かれている。裏面に、表面合作者の人名が記されているが、これは後に書かれた可能性がある。
 荒木寛畝(1831~1915)は、天保2年江戸に生まれた。増上寺で冠誉大僧正の随身を勤め、画は狩野派と谷文晁の流れをくむ荒木寛快に師事。画才を認められて養嗣子となり荒木姓を継いだ。安政6年(1859)に土佐藩主の山内容堂に登用され、藩の御用絵師として信任を得た。明治以降は洋画も学んだが、やがて日本画に専念して頭角を現し、明治31年(1898)東京美術学校教授となり、明治33年(1900)には帝室技芸員に任命された。
 かつて浄輪寺には、荒木家の墓所があり、寛畝や弟子で婿養子の十畝の墓があったが、平成13年(2001)に多磨霊園に改葬された。
 荒木寛畝一門によるこの屏風は、故人を偲ぶ弔事にふさわしい落ち着いた潤いのある清新な画風の絵画であり、制作の前年に寛畝の画塾「読画会」が創設されていることから、当時の一門の状況をうかがい知ることができる。
 また本作品は、寛畝作品の特徴である精緻で濃密華麗な彩色の花鳥画ではなく、水墨と淡彩による簡略な筆致で統一的に描かれた、情趣豊かな寄合描きの典型的作品である。確かな筆力と潤いのある淡彩が際立ち、寛畝が晩年に到達した画境を理解する上で重要な作品であり、寛畝の画業と一門の研究には欠かせない。
 これまでの日本画研究は、日本美術院を中心とした「新派」の研究が進み、「旧派」に位置づけられた荒木一門「読画会」の研究は限られていた。本作品は、荒木寛畝とその一門「読画会」の画家たちの研究のみならず、「旧派」に位置づけられる画家たちの再評価や研究促進に寄与するものであり、文化史上、絵画史上、重要な作品である。