鼠坂
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所在地 | 市谷鷹匠町と納戸町の境を北へのぼる坂 |
ふりがな | ねずみざか |
概要 | ①細くて狭い坂だったから、まるで鼠が通るほど狭かったから、そう名付けたのだろう。 ②『新撰東京名所図会』に「牛込納戸町と市谷鷹匠町の間より加賀町に下る坂路あり、鼠坂と呼ぶ」とある。 ③江戸幕府による『諸書留』(別名『承寛襍録』)には「寛文十二年(1672)二月二日之夜、市谷浄瑠璃坂上、戸田七之介殿組屋敷にて敵討有之候」とある。世に云う「浄瑠璃坂の仇討」は、鼠坂上の鷹匠町(戸田七之介殿組屋敷)において起きた事件である。勿論この時、鼠坂はまだ出来ていなかった。このあと年を経ずして、(延宝年間)鷹匠町よりの坂道となり坂となったもの。 |