津の守坂
画像数:1枚
所在地 | 荒木町と四谷三栄町の境を靖国通りに向かってくだる坂 |
ふりがな | つのかみざか |
概要 | ①『新撰東京名所図会』に「津守坂は荒木町より旧法光寺の前、今の坂町と市谷片町との間を北に下る坂路をいふ。もとは其の勾配今よりも急にして且つ狭かりしが、近年道幅を広め改築して緩修と為しぬ。昔は小栗坂といふを本名としたるよし。そは往古小栗主許といへる人の邸内に路を開きしに因る。然れども其の西は悉く松平摂津守の邸なれば、通常は津守坂といひしが、後には小栗坂と唱ふる者なきに至れり」とある。 ②坂上に続く道筋は、里俗荒木横町といわれ、東西に延びる四谷大通りに通じている。但し津の守坂は、天和年間(1681~1684)には未だ存在せず、荒木横町通りは行き止まりであったが、貞享年間(1684~1688)に松平家屋敷内を通って開通し、ここに坂道が誕生した。これが津の守坂である。その経過が逐一『御府内沿革図書』により明示されている。江戸以来明治の中頃まで、坂はじぐざくとして狭く険しかったが、明治30年代に拡幅改修されて直線状の緩やかな坂道となった。柳町から四谷への交通の要路。 |