新助坂
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所在地 | 南元町5番地と6番地の間を南へくだる急な坂 |
ふりがな | しんすけざか |
概要 | ①新助坂の東方に、同じく平行してくだる急坂がある。新助坂と共に江戸の初期より続く古い坂道で、無名のまま今日に及んでいる。この二つの坂の坂下を結ぶJR線土手沿いの道筋を、江戸時代「中段」と呼んだ。この「中段」南側の伊賀者給地八軒町と元鮫河町南町の一部は、甲武鉄道の開通(昭和27年<1952>)により地図より削除された。甲武鉄道は現在のJR線で高速道路と並んでいる。 中段…元鮫河橋南町69~75番地までの間は、昔の八軒町、76~86番地までは小屋敷で、台所人衆の拝領地面から御台所町と呼んだ。この台所町の北裏は永井肥前守下屋敷で一段高く、南の方八軒町は一段ひくいので、この御台所町のあったJR線土手沿いの道筋を「中段」と呼んだ。 ②『新撰東京名所図会』には「新助坂は四谷東信濃町に上る坂なり、一名をスベリ坂ともいう、坂の下には甲武鉄道(JR中央線)の踏切トンネルあり」とある。坂名は、維新後この坂にかかわる土地の者の名を採って名付けられたものと思われる。 |