蜀江坂

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所在地 北新宿一丁目と二丁目の境を北へのぼる坂     
ふりがな しょっこうざか
概要 ①かつて、このあたりは「蜀江山」と呼ばれた。これは三代将軍徳川家光が、秋の紅葉を蜀江錦のようだと称賛して名づけたと伝えられる地名である。また異説として、平将門が蜀江錦の衣の袖を落としたという伝説から名づけられたともいう。かなり長い坂道であり、坂の上から超高層ビル群が眺められ、往年をしのぶに足る名坂である。

②『豊多摩郡誌』に「蜀江山道は、豊多摩郡役所前より北上して蜀江坂となり、東へ、北へ、鎧神社の前を過ぎ、鉄道中央線路を超え、北行して百人道に合す」とある。

③当時「蜀江山」の北には、家光の乳母春日局の築いた庭園があり、蜀江山の名に因んで「蜀江園」と称された。蜀江園は、寛政8年(1796)幕臣三上因幡守の抱屋敷・抱地となったが、維新の頃、この一廓を買い取って江藤新平が居住し、明治37年(1904)より数年間、文豪大町桂月が当園の中に借家住まいをしていた。

★ 新宿クイズ ★
答え:②秋の紅葉
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