椎木坂
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所在地 | 新宿区立東戸山小学校向かいから大久保通り脇を南へくだり、更に西へのぼって大久保通りに出る坂 |
ふりがな | しいのきざか |
概要 | ①『豊多摩郡誌』に「大字東大久保字砂利場より、牛込に通ずる郡市入会道に在り、此処は旧時の砂子取場跡にて、東西へ上る両坂あり、故に一名を向坂と云ふ。東は百五十間、西は六十間許なり、戸山学校校内(旧尾張侯戸山屋敷内)に椎の大木ありて、坂路を隠蔽す、故に此名あり」とある。 ②『新撰東京名所図会』に「椎木坂は、牛込に通ずる道路に在りこの此処は砂利取場跡にて、東西に上る両坂あり。故に一名を向坂といふ。椎木坂とは尾張侯戸山屋敷内に椎の大木ありて、坂道を隠蔽するを以て此称を付せしといふ。椎の木は今尚ほ存せり」とある。 旧尾張侯戸山屋敷は、三代将軍家光から尾張家二代徳川光友が下屋敷として拝領し、戸山園・戸山山荘と云われていた。明治4年(1871)薩長の兵がここに宿営したが、後に陸軍戸山学校となった。現在は戸山ハイツとなっている。 |