久左衛門坂
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所在地 | 新宿七丁目抜弁天前の西方、永福寺門前を曲折して西へくだる坂 |
ふりがな | きゅうざえもんざか |
概要 | ①『新撰東京名所図会』には「久左衛門坂は市ヶ谷に通ずる東大久保の往還にあり、大久保村草創の島田久左衛門の経営する所故に名付く」とある。 ②『御府内備考』には「久左衛門坂は永福寺の傍なり、島田久左衛門といひしもの新に開きし坂なりと、此久左衛門は市谷左内坂の名主左内が兄なり」とある。 ③『豊多摩郡誌』には「大字東大久保字天神前の市ヶ谷へ通ずる往還鹿島横町に在り。登五十間許り、坂道曲折して車馬の通行困難なり。大久保の草創百姓島田久左衛門の居住せし所、よってこの名あり。久左衛門の後裔島田久石司今も居住せり」とある。 ④久左衛門は藤原鎌足の血をひく豊後守藤原重久の後裔である。重久は足利幕府滅亡により武蔵国に渡ったが、重久の後裔久左衛門は江戸大久保に移り住み、篠田姓を名乗り篠田久左衛門と称した。元和元年(1615)に施かれた武家諸法度令により、篠田家は、姓を島田と改め、篠田久左衛門は島田久左衛門となり、33年後の慶安元年(1648)その生涯を終えた。 |