神楽坂

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所在地 神楽坂一・二・三丁目を西へのぼる坂     
ふりがな かぐらざか
概要 ①『新撰東京名所図会』に「神楽坂は、牛込門跡より西の方。神楽町の中央に在る坂路をいふ。もと坂の上南側に高田八幡社の旅所ありて、祭社の時は、神輿此所に渡り神楽を奏するを以て此名ありといふ」とある。

②『江戸名所図会』には「同所牛込の御門より外の坂をいえり。坂の半腹右側に、高田穴八幡の旅所あり。祭社の時は、神輿この所に渡らせらるる。その時神楽を奏する故にこの号ありといふ。(或いは云ふ、津久土明神、田安の地より今の処へ遷座の時、この坂にて神楽を奏せし故にしか号くとも。又若宮八幡の社近くして、常に神楽の音この坂まできこゆる故なりともいひ伝へたり)」とある。

③『紫のひともと』には「神楽坂:牛込見附の御門より直に肴町へ登る坂」とある。延宝より享保の中頃(1673~1725)までは、坂を含み道の両側は肴町まで武家屋敷ばかりであった。おそらく肴町に向かって登るとの意味であろう。牛込肴町は家康の関東入府以前からの町で、かつて兵庫町といっていた。