銀杏坂

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所在地 市谷薬王寺町11番と5番の間を東から西へくだる坂     
ふりがな いちょうざか
概要 ①坂の北側の久貝因幡守の屋敷に銀杏稲荷があったのでこの名がある。

②『新撰東京名所図会』に「銀杏坂は、六十九番地と七十番地の間を、東へ市谷加賀町の方に上る坂をいふ。もと其の北側なる久見因幡守の邸内に、銀杏稲荷ありて、其の神木に銀杏の大樹ありしによる」とある。

③『御府内備考』の薬王寺前町の書上には「坂 高凡十五間程巾三間程、右は町内北の方にて、自身番屋横町同所加賀屋敷通り往還にこれ有り、銀杏坂と相唱え候。訳は同所北の方、久貝甚三郎様御屋敷内に銀杏稲荷と申す社、年代知らず、往古よりこれ有り候に付き銀杏坂と唱え候旨、町内申し伝えに御座候」とある。

④旗本久貝忠左衛門が、小川町より当地へ移って来たのは寛政4年(1792)9月である。久貝家屋敷はそれ以来、幕末・明治まで約80年間この地にあり、明治4年(1871)に上納明け渡しとなったが、屋敷内の銀杏稲荷は明治20年頃まで残存していたようである。