辰野金吾の墓
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所在地 | 新宿区西新宿7-13 常圓寺墓地 |
ふりがな | たつのきんごのはか |
種別 | 新宿区指定史跡 |
指定・登録年月日 | 令和4年(2022)11月4日 |
所有者 | 常圓寺、個人 |
アクセス | JR、小田急線、京王線、東京メトロ、都営地下鉄「新宿」駅から徒歩5分 |
概要 | 明治・大正時代を代表する建築家・辰野金吾(1854~1919)の墓地。辰野金吾は、嘉永7年(1854)8月22日に唐津藩(現在の佐賀県)の下級武士の次男として生まれた。明治元年(1868)に叔父である辰野宗安の養子となり、明治6年(1873)に工部省工学寮(のちの工部大学校)の第一期生として入学、建築家のジョサイア・コンドルから建築を学び、同12年に首席で卒業した。翌年から三年間イギリスへ留学して西洋建築を学び、帰国後は工部大学校で建築に関するすべての講座を担当した。明治31年(1898)に帝国大学工科大学長となった後、同35年に退官し、辰野葛西事務所(東京)や、辰野片岡事務所(大阪)を開設し、重要文化財に指定されている日本銀行本店本館、東京駅丸の内駅舎をはじめとする日本近代建築史上重要な作品を手掛けた。また、建築学会会長などを歴任し、日本の近代建築の発展の礎を築いた。 墓石は総高186.4センチの安山岩の墓石で、正面には金吾の名とともに、妻の秀子の名前が刻まれる。右側面には金吾の経歴、戒名と没年が、左側面には秀子の戒名と没年が刻まれている。辰野家は常圓寺の檀家であり、金吾は庫裡や客殿(ともに現存しない)の設計も手掛けるなど、同寺との縁は深いものがあった。 |