東京府仮小学第三校跡

  • 東京府仮小学第三校跡
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所在地 新宿区筑土八幡町6-12     
ふりがな とうきょうふかりしょうがくだいさんこうあと
種別 新宿区登録史跡
年代 明治3年(1870)~ 4年(1871)
指定・登録年月日 平成28年3月4日
所有者 個人
アクセス JR、東京メトロ、都営地下鉄「飯田橋」駅から徒歩8分
概要  この地は、明治3年(1870)東京府によって設置された教育施設である仮小学の跡である。
 仮小学は、六校が市内の寺院の堂塔を利用して設けられたが、その第三校は曹洞宗久宝山萬昌院(現在は中野区上高田に移転し萬昌院運寺となっている)の境内に置かれた。明治5年(1872)に日本近代教育の基礎となった学制が発布されたが、明治政府はこれに先立つ明治2年(1869)、東京府に仮小学の設置を求めていた。これを受け府は、翌年に仮小学六校を開校し、そのうち第二校と第三校が現在の新宿区内に設置された。仮小学は、学制の原則である国民皆学・教育の機会均等をめざした小学校とは性格を異にし、当時の華士族を対象とした教育の場であった。教育内容は漢学中心で近世における藩校の特徴を色濃く残していた。仮小学は、明治4年(1871)文部省の管轄となり、その第三校は日蓮宗善国寺(神楽坂五丁目36番)境内に移転して「文部省小学第三校」と校名を変える。同6年(1873)には、再び府の管轄となり、市ヶ谷加賀町16番地に移転し、学制下の公立小学校として「第三中学区第二番公立小学牛籠学校」と改称する。その後、「同公立小学吉井学校」と校名を変更し、同13年(1880)に市谷柳町の「第三中学区第四番公立小学市ヶ谷学校」と合併し、牛込区北町26番地の「愛日小学」(現新宿区立愛日小学校の前身)となり現在に至っている。
 仮小学は、日本の近代教育制度確立への過渡期に設けられた教育機関として記録すべきであり、その跡地は地域史上、教育史上の史跡として重要である。