永福寺の銅造大日如来坐像

  • 永福寺の銅造大日如来坐像
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  • 蓮弁の銘文
  • 蓮弁の銘文
  • 大日如来坐像と地蔵菩薩半跏像

画像数:5枚

所在地 新宿区新宿7-11-2 永福寺     
ふりがな えいふくじのどうぞうだいにちにょらいざぞう
点数 1軀
種別 新宿区指定有形文化財 彫刻
構造・寸法 像高 88.5cm
素材・仕上げ等 銅造
年代 宝永6年(1709)
指定・登録年月日 平成30年(2018)10月24日
所有者 永福寺
アクセス 東京メトロ副都心線、都営大江戸線「東新宿」駅から徒歩7分
概要  宝永6年(1709)造られた銅造の大日如来坐像で、作者は藤原國保である。知的で端正な顔立ち、引き締まった体軀から、バランスのとれた優れた造形力がみとめられる。なお、平成5年(1993)に宝冠や光背、台座等の補修を行っている。本像は、明治初年まで近隣の厳島神社(抜弁天)別当寺の二尊院に安置されていたが、同院廃絶に伴い永福寺に移されたと伝えられる。しかし、史料がなく、造像の目的や事情などは不明である。
 江戸時代には青銅製の丈六(像高が一丈六尺の寸法)以上の大型仏像、銅造大仏が多数制作された。本像は丈六より小さく、等身とされる三尺ほどの像高(88.5センチ)しかないが、制作技法や素材、仏像の種類(如来)、立地(露座)、形態(坐像)の点で、18世紀前半当時流行した銅造大仏の特徴を備えている。さらに、作者の藤原國保は、江戸で活躍した仏具師で、17世紀末から18世紀にかけて仏像や梵鐘を7件手がけている。本像は制作年及び作者が明確で、当時の銅造大仏の隆盛の流れを受けた基準作例として、また明治の神仏分離の際に近隣寺院から移されたという事情により、地域の歴史や寺院の変遷等を知る上での貴重な作例といえる。