女人芸術社跡(長谷川時雨・三上於菟吉旧居跡)

  • 女人芸術社跡
  • 「女人芸術」創刊号

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所在地 新宿区市谷左内町29-36 ロワ・ヴェール市ヶ谷左内坂     
ふりがな にょにんげいじゅつしゃあと(はせがわしぐれ・みかみおときちきゅうきょあと)
種別 新宿区指定史跡
年代 昭和3年(1928)~7年(1932)
指定・登録年月日 平成28年3月4日
アクセス JR、東京メトロ、都営地下鉄「市ヶ谷」駅から徒歩8分
概要  この地は、劇作家・小説家の長谷川時雨(1879~1941)と、夫で小説家の三上於菟吉(1891~1944)の旧居跡であり、於菟吉の援助により時雨が発行した女性のための文芸雑誌『女人芸術』の発行所であった女人芸術社の跡である。明治12年10月1日に東京市日本橋区に生まれた時雨(本名長谷川ヤス)は、幼少期より邦楽や歌舞伎に親しみ、やがて佐佐木信綱に師事した。26歳の時、第一小説『うづみ火』を発表、数々の歌舞伎脚本で劇作家としての地歩を築いた。明治24年2月4日に埼玉県北葛飾郡桜井村で生まれた於菟吉は、早稲田大学文学科で英文学を学ぶも中退、「早稲田文学」等に投稿を重ね、佐藤春夫・北原白秋らと交流しつつ創作・出版活動を行い、大正5年(1916)の『悪魔の恋』で大衆小説家としての地歩を固めた。時雨と於菟吉は、この年から交際をはじめ、同8年(1919)頃から同棲するようになった。『女人芸術』は、大正12年(1923)に時雨が岡田八千代とともに創刊したが2号で休刊となる。昭和3年(1928)7月に於菟吉の資金援助を得て復刊し、同7年(1932)6月の最終号まで4年間、計48冊を発行した。内容は、初期は小説・詩歌・随筆・評論などの文芸欄中心であったが、次第に左傾化した手記やルポルタージュが増加した。執筆者は、野上弥生子・神近市子・山川菊栄・高群逸枝・中条(宮本)百合子ら当時の中堅・大家のほか、上田(円地)文子・大田洋子・尾崎翠・窪川(佐多)稲子・林芙美子・矢田津世子らの若手を世に出した。
 『女人芸術』は、当時の女性に自由な表現の場を提供し、後に日本近代文学史上重要な小説家・評論家となる多くの文学者たちを世に出した。またその中には、新宿区域、特に落合地区に居住した者も多かった。新宿区が記念館を設置する小説家・林芙美子が代表作「放浪記」を『女人芸術』に連載し、その後も数々の作品を掲載したことは注目に値する。女人芸術社跡は、女性解放運動が高まった昭和初期に、女性による女性のための文芸雑誌が編集・発行された場所であり、主宰者・長谷川時雨と夫・三上於菟吉の旧居でもあったことから、新宿区域に居住した女性文学者たちが集い、活動した場所として、地域史・文学史・近代女性史上重要な史跡である。