堀部武庸加功遺跡之碑
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所在地 | 新宿区西早稲田3-5-43 水稲荷神社 |
ふりがな | ほりべたけつねかこういせきのひ |
点数 | 1基 |
種別 | 新宿区指定有形文化財 歴史資料 |
構造・寸法 | 総高350.0cm |
素材・仕上げ等 | 石造 |
年代 | 明治43年(1910) |
指定・登録年月日 | 平成28年3月4日 |
所有者 | 水稲荷神社 |
アクセス | 都電「面影橋」停留所から徒歩6分 |
概要 | 「忠臣蔵」における代表的説話であり、地域の伝承として知られる元禄7年(1694)の「高田馬場の決闘」における赤穂浪士堀部安兵衛(1670~1703)の事績を顕彰する記念碑である。江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫行田久蔵が、明治43年(1910)に明治政府から馬場の一隅を貰い受け、安兵衛の功績とゆがめられた伝説を正すことを目的として建立した。篆額は西園寺公望(1849~1940)、賛助者には頭山満(1855~1944)・犬養毅(1855~1932)・大隈重信(1838~1922)など当時の名士が名を連ねた。当初は茶屋町通りの行田久蔵の植木園に建てられたが、昭和46年(1971)6月に現在地に移された。総高は350㎝である。 この記念碑が建てられた当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし、「忠臣蔵」の再評価が高まった時代であった。また、明治から大正にかけては全国的に建碑ブームが巻き起こり、歴史上の事象や人物に関する顕彰運動が広汎に行われていた。記念碑はこのような時代背景の下、建立が計画されたものであり、明治期における国民思想の一面を示す情報を含んでいる。一方で、代々高田馬場の管理を行ってきた行田家により、かつての高田馬場の地に建立されたものであり、現在も町名や駅名、地域の伝承等、歴史的記憶を留めている「高田馬場の決闘」の地域との関わりを示す文化財でもある。地域の著名な伝承の地を示す記念碑として価値が高く、当時の顕官や文化人が多数関与しているなど、地域史・思想史・文化史上重要な記念碑である。 |