山鹿素行墓

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所在地 新宿区弁天町9番地 宗参寺     
ふりがな やまがそこうはか
種別 国指定史跡
指定・登録年月日 昭和18年5月1日
所有者 宗参寺
アクセス 都営バス「牛込保健センター前」バス停から徒歩2分
概要  江戸時代前期の儒学者・兵学者山鹿素行(1622~85)の墓である。
 山鹿家の墓地として区画された墓域は面積約29㎡で、素行とその父母・夫人・子どもなど合計8基の墓石が立っている。墓地の正面中央に「月海院殿瑚光浄珊居士」という戒名が刻まれた素行の墓石があり、その左右に両親の墓石が、これに対面した墓地南側には素行夫人、嫡男藤助など5基の墓石が立っている。また墓地内には、素行の学徳を顕彰し、素行会の設立に参加した陸軍大将乃木希典(1849~1912)遺愛の梅と植樹碑が建っている。
 素行は会津の生まれ、江戸に出て林羅山(1583~1657)に儒学を、小幡景憲(1572~1663)・北条氏長(1609~1670)に兵学を学ぶ。承応元年(1652)赤穂藩浅野家に仕え家禄千石を賜った。江戸で家塾を開き多くの門弟を育成し、『武教要録』『聖教要録』『山鹿語類』などを著したが、当時の正統であった朱子学を批判したため、寛文6年(1666)赤穂に移された。晩年は許されて江戸に戻り、積徳堂を開き再び門弟の養成にあたったが、貞享2年(1685)64歳で亡くなった。