関孝和墓

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所在地 新宿区弁天町95 浄輪寺     
ふりがな せきたかかずはか
種別 東京都指定史跡
年代 江戸時代
指定・登録年月日 大正13年2月5日 仮指定
昭和17年9月30日 仮指定解除
昭和27年4月1日 史跡
昭和30年3月28日 旧跡
昭和33年10月7日 種別変更
所有者 浄輪寺
アクセス 都営大江戸線「牛込柳町」駅から徒歩5分
概要  江戸時代前期の数学者関孝和(1640~1708)の墓地。
 関孝和は幕臣内山永明(?~1662)の子として上野国(現群馬県)藤岡もしくは江戸に生まれ、のちに関家の養子となり家督を継いだ。幕府に仕え勘定吟味役や御納戸組頭などを歴任するが、一方で高原吉種(生没年不詳)に和算を学び、「得源整法」(筆算式代数学)を創案した。これは、それまで算木を使用して解いていた方程式を、未知数を文字で表して筆算で解く方法を編み出したもので、画期的な発想であった。このほか行列式論や幾何学の分野も開拓し、『大成算経』『算法容術』などを著した。関流算法の祖として和算の発展に大きく貢献し、算聖と称された。