寒泉精舎跡
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所在地 | 新宿区揚場町2番地、下宮比町3番地 |
ふりがな | かんせんしょうしゃのあと |
種別 | 東京都指定旧跡 |
年代 | 寛政2年(1790)~文化12年(1815) |
指定・登録年月日 | 昭和27年(1952)4月1日(史跡) 昭和30年(1955)3月28日(旧跡) |
所有者 | 個人等 |
アクセス | JR中央・総武線、東京メトロ有楽町線・南北線、都営大江戸線「飯田橋」駅より徒歩3分 |
備考 | 文化財説明板は新宿区揚場町2-16に設置 |
概要 | 江戸時代後期の儒学者・政治家岡田寒泉(1740~1816)の開いた私塾寒泉精舎の跡。 寒泉は名を恕といい、牛込に生まれた。寛政元年(1789)柴野栗山(1736~1807)と共に幕府の儒者に登用され、翌年、昌平黌の教授となる。寛政6年(1794)には常陸国(現茨城県)の代官に転出し、14年間在職し優れた治績をのこし、領民から岡田大明神と称されたという。 寒泉精舎は、寛政2年(1790)8月に幕府から拝領した屋敷の隣地を借りて開いた私塾で文化12年(1815)に病気のため閉鎖するまで存続した。敷地は372坪、50畳敷の広間では門人が毎朝素読を行い、講義は日を決めて行われたという。 柴野栗山、尾藤二洲(1745~1814)とともに「寛政の三博士」と称された(寒泉に代わって古賀精里(1750~1817)を加えることもある)。 肖像画:国立国会図書館ウェブサイトより転載 ★ 新宿クイズ ★ 答え:②常陸国 https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/course/shosai7/ |