斎藤茂吉終焉の地

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所在地 新宿区大京町22-2     
ふりがな さいとうもきちしゅうえんのち
種別 新宿区指定史跡
年代 昭和25年(1950)~28年(1953)
指定・登録年月日 平成25年3月27日
所有者 個人
アクセス 東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅から徒歩5分
概要  歌人・精神科医斎藤茂吉(1882~1953)が、昭和25年(1950)から昭和28年(1953)2月25日に亡くなるまで過ごした場所。山形県南村山郡金瓶村(現在の上山市)に生まれた茂吉は、14歳で上京し浅草区東三筋町(現 台東区)の浅草医院(後の養父斎藤紀一(1861~1928)が開設)に寄寓した。明治37年(1904)より作歌をはじめ、翌年には斎藤家に入籍し、東京帝国大学医科大学に入学した。卒業後は精神科医として、養父が開業した青山脳病院に勤務、院長として経営にあたった。歌人としては、『アララギ』の創刊に参加、その後歌集を数多く発表している。
 大京町転居後は、二冊の歌集『石泉』『霜』を刊行し、昭和26年(1951)には文化勲章を受章した。また妻輝子・長男茂太(1916~2006、精神科医・随筆家)・次男宗吉(1927~2011、小説家・北杜夫)ら、家族とともに最晩年を過ごした場所として、地域史や文学史上重要な史跡である。