源清麿の墓

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所在地 新宿区須賀町10-2 宗福寺     
ふりがな みなもとのきよまろのはか
種別 新宿区指定史跡
指定・登録年月日 昭和59年12月7日
所有者 宗福寺
アクセス 東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅から徒歩12分
概要  江戸時代後期の刀工源清麿(1813~54)の墓地。
 清麿は本名を山浦環といい、文化10年(1813)信濃国小諸の赤岩村(現在の長野県東御市)に生まれた。はじめは、上田の刀工河村寿隆について鍛冶を学び、天保6年(1835)江戸に出て、幕臣で兵学者の窪田清音(1791~1867)のもとで兵学を学ぶが、刀工として評価した清音の好意でその屋敷内に鍛冶場を設け、刀工として活動した。その後、四谷北伊賀町(現在の四谷三栄町の一部)に居を構えて刀剣の製作に励み、清音から一字をもらい源清麿と称した。新々刀(江戸時代後期の刀)の刀工の第一人者として、天保・弘化年間(1830~48)に活躍し、初代水心子正秀(1750~1825)・大慶直胤(1779~1857)とともに江戸三作と称された。また、四谷に住んだことから「四谷正宗」の異名もとった。嘉永7年(1854)11月14日、42歳で自害した。
 源清麿の墓と並んで、水心子正秀らの墓碑も建っている。本所の西光寺に営まれたこの墓は、火災や関東大震災で焼損したものを、昭和40年(1965)宗福寺境内で再興したものである。