山県大弐の墓

  • 山県大弐の墓 合葬墓で、一番右側の戒名が大弐のもの
  • 山県大弐の墓 左から2番目の墓石
  • 山県大弐の墓 右から3番目の墓石
  • 山県大弐の墓 墓石右側面
  • 山県大弐の墓 墓石左側面
  • 山県大弐の墓 墓石裏面

画像数:6枚

所在地 新宿区舟町11番地 全勝寺     
ふりがな やまがただいにのはか
種別 新宿区指定史跡
指定・登録年月日 昭和59年11月2日
所有者 全勝寺
アクセス 東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅、都営新宿線「曙橋」駅から徒歩4分
概要  江戸時代中期の思想家・兵学者山県大弐(1725~1767)の墓地。
 大弐は名を昌貞といい、甲斐国(現山梨県)竜王に生まれた。はじめ医学、続いて漢学を学び、宝暦6年(1756)岩槻藩士となって江戸に出るが、すぐに辞めて塾を開き、国学・兵学を講義した。しかし宝暦8 年(1758)『柳子新論』を著し幕政批判を行い、尊皇を説いたため、明和3年(1766)幕府に捕えられ、翌年処刑された。
 墓は初め全徳寺にあったが、廃寺になったため全勝寺に改葬された。