浄瑠璃坂の仇討跡

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所在地 新宿区市谷鷹匠町・払方町境、浄瑠璃坂上     
ふりがな じょうるりざかのあだうちあと
種別 新宿区指定史跡
年代 寛文12年(1672)
指定・登録年月日 昭和60年11月1日
所有者 新宿区
アクセス JR、東京メトロ、都営地下鉄「市ヶ谷」駅から徒歩8分
概要  寛文12年(1672)2月3日に浄瑠璃坂の仇討が行なわれた場所。この仇討の発端は、寛文8年(1668)3月2日、前月死亡した下野宇都宮藩主・奥平忠昌(1608~1668)の法要が下野興禅寺で行われた際、家老の奥平内蔵允正輝と奥平隼人守雄が、主君の戒名の読みをめぐり口論となり刃傷に及んだもので、正輝は切腹を命じられた(宇都宮興禅寺刃傷事件)。
 正輝の息子源八は、縁者とともに仇討の機会をうかがい、ついに浄瑠璃坂上の戸田邸に潜伏する守雄らに総勢42名で討ち入り、牛込見附門前で討ち取った。
 赤穂浪士の討ち入り・鍵屋の辻の決闘(伊賀越えの仇討ち)とともに「江戸の三大仇討」とも呼ばれる。