松井須磨子の墓

  • 松井須磨子の墓
  • 松井須磨子(国立国会図書館ウェブサイトより)

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所在地 新宿区弁天町100番地 多聞院     
ふりがな まついすまこのはか
種別 新宿区指定史跡
指定・登録年月日 昭和59年(1984)12月7日
所有者 多聞院
アクセス 都営大江戸線「牛込柳町」駅から徒歩6分
概要  大正時代に一世を風靡した女優松井須磨子(1886 ~ 1919)の墓地。
 須磨子は本名を小林正子といい、長野県松代町(現在の長野県長野市松代町)に生まれた。明治42年(1909)坪内逍遙(1859~1935)の文学協会の第1期研究生となり、数々の舞台で活躍し新劇界を代表する女優となる。大正2年(1913)島村抱月(1871~1918)とともに芸術座を組織。「復活」のカチューシャで全国的な人気を博す。しかし大正7年(1918)11月抱月がスペイン風邪により病死したため、翌年1月5日牛込横寺町の芸術倶楽部内で後を追い自殺した(新宿区指定史跡「島村抱月終焉の地(芸術倶楽部跡)」)。抱月と須磨子の死により、芸術座は解散となった。
 初め故郷に葬られたが、二人の気持ちに配慮し、抱月の眠る雑司が谷霊園や芸術倶楽部跡にも近い多聞院に分骨された。境内には抱月と須磨子の「芸術比翼塚」も建立されている。

肖像写真:国立国会図書館ウェブサイトより転載