空印の石手水鉢
画像数:1枚
所在地 | 新宿区四谷三栄町12-16 新宿歴史博物館 |
ふりがな | くういんのいしちょうずばち |
点数 | 1基 |
種別 | 新宿区指定有形文化財 歴史資料 |
構造・寸法 | 高さ 90.0cm 幅 228.0cm 奥行 74.0cm |
素材・仕上げ等 | 石造 |
年代 | 延宝2年(1674) |
指定・登録年月日 | 平成23年1月7日 |
所有者 | 新宿区 |
アクセス | JR中央・総武線、東京メトロ丸ノ内線・南北線「四ツ谷」駅から徒歩10分 東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅から徒歩8分 都営新宿線「曙橋」駅から徒歩8分 |
備考 | 地下1階サンクンガーデンに常設展示中 |
概要 | 空印の石手水鉢は、延宝2年(1674)3月12日、若狭国小浜藩酒井家下屋敷内(現在の新宿区矢来町)の同家菩提寺・長安寺に営まれていた初代藩主忠勝(1587~1662)の墓前に奉納されたもの。奉納者は石屋久兵衛喜廣で、幕府の作事奉行支配下の石方棟梁をつとめた亀岡久兵衛と推定される。空印とは、三代将軍家光と四代将軍家綱に仕えた忠勝の法名。 忠勝の言行録である『仰景録』には、手水鉢にまつわる逸話が記されている。それによると、亀岡久兵衛の息子は放蕩者であったが、忠勝の助言で改心し、久兵衛は感謝の意から忠勝の13回忌に手水鉢を奉納したという。 材質は安山岩で、かなり大振りな手水鉢。奉納者と制作時期、そして寸法を考え合わせると、江戸城の石垣普請のために切り出した石材を転用したものと考えられる。水抜き用と考えられるもののほか、若干の人工的な穴が見られるが、保存状態は良好。 この手水鉢は、明治初年の長安寺廃絶後も酒井家の墓所とともに矢来町に残されていた。その後、大正13年(1924)に護国寺(文京区)の境内に移され、さらに昭和35年(1960)に個人の所蔵となるなど幾多の変遷をたどり、平成20年(2008)に新宿区に寄贈され、現在は新宿区立新宿歴史博物館の地下1階サンクンガーデンに設置されており、開館時に常時公開されている。 |